長い時間軸で見る未来
隆起した海岸線、焼失した市街地、自宅を追われた人々…。大地震による痛ましい被害は、報道やSNSを通じて全国に広まった。しかし、その裏で見過ごされがちな事実も少なくない。岸田木材(氷見市)の岸田真志専務は「山の出口がなくなる」と危惧している。
山は地震の影響によって樹木が倒れ、地盤が変動して土地の境界が分かりにくくなっている。これまで以上に手を掛ける必要が出ているが、その役割の一端を担う能登の製材所は軒並み被災。もともと後継者不足が課題だったことから、地震を機に廃業を決めた同業者が出てきたという。
このまま山を荒廃させるわけにはいかない。なぜなら、山は街とつながり、海とつながっているため、どこかに異常があれば人間生活のさまざまな面に支障が出かねないからだ。岸田さんは足元で仮設住宅の建設に向けた準備を進める傍ら、長い目で見て里山を守るために何をすべきか思いを巡らせている。
【あの日】 津波に備えて高台へ
2024年1月1日の午後を、私は氷見市内の自宅で迎えた。東京在住時に東日本大震災を経験していたため、大きな地震への心構えはあった。まずは玄関ドアを開け放ったまま、子どもと共に裸足で家を飛び出す。揺れが収まったら簡単に身支度を整え、津波に備えて高台へ急いだ。家族で「何かあったら、ここに集まろう」と申し合わせていた避難場所へ。遅れて合流した妻の車は壊れ、街の被害の大きさを暗示していた。
翌日、市内のあちこちでパンクした車を見掛けた。自社の前面道路は封鎖されており、敷地内には亀裂が入ってアスファルトが割れている。だからと言って何もできないのが無念だった。
そんな折、知人から被災地へ物資を運ぶ取り組みに誘われた。この段階では製材会社として役に立てることは少なかったが、手持ちのトラックを動かすことならできると思い、迷わず手を挙げた。
物資を運搬する過程で珠洲や輪島の惨状を目にする。正直に言えば「ここに人が住めるようになるのだろうか…」と唖然とした。でも、住めるようにしなければならない。その局面こそ製材所としての出番だ。
仮設住宅へ木材供給
被災地ではプレハブの仮設住宅の建設が進んでいる。それが落ち着いてきたら、いよいよ木造仮設住宅の建設が本格化する予定だ。このフェーズで必要になる大量の木材については、基本的に地域の会社が調達を担うことになる。
岸田木材はもともと、能登に近い地域で最も高い生産能力を持っている。今回の地震で能登の製材所が被災し、操業を停止している以上、私たちが果たすべき役割は普段よりも大きい。これから仮設住宅がスムーズに着工できるよう、木材の供給拠点としてしっかりと機能したい。
【これから】 地元が関わらないと
仮設住宅の先にある本格的な復興局面を見据えると、最も簡単でスムーズな方法は大手の住宅メーカーがどんどん開発していく形だろう。でも、それだけで良いのだろうか。
能登には特有の家の建て方がある。それを象徴する瓦屋根は地震に弱いと言われているところもあるが、新耐震基準に沿って建てられた瓦屋根の家は地震のダメージが小さいはず。瓦屋根は古い住宅に多いという傾向を割り引いて考え、これからの家づくりや町づくりを論じるべきだ。
実は今、地場で林業に携わってきた身として、業界団体や行政、学術機関と連携して復興プランを描こうとしている。昔ながらの家づくりを受け継ぎ、能登という地域特性に合った計画にしたい。
より長い目線では、境界すら曖昧になってしまった山を再整備しないといけない。難しいのは林業の「時間軸の長さ」。花粉症の元凶と悪者扱いされがちなスギも、60、70年前に先祖が将来の資産になると思って植えてくれたもの。60、70年先の世界の姿を予見するのは難しく、すぐに最適解が見つかるとは思えないが、それでも遠い将来のことを一生懸命に想像し、今できることを積み重ねていきたい。
能登の一員としての氷見
氷見はいつも複雑な立ち位置にいる。行政区分は富山県なのに、家の作り方や文化は能登と似ている。地理的に七尾に近く、岸田さんには能登の一員という意識があるそうだ。
今回の地震は全国的に「石川県の地震」という切り口で報道されることが多く、氷見の被害には目を向けられにくかった。岸田さんは七尾以北を指して「被災地のために」と言うが、氷見だって被災地であり、能登の一員のはず。それなのに、不遇を嘆くことはない。
これから仮設住宅が建っても、木材の確保に奔走した製材所を労う人は多くないかも知れない。海や街に耳目が集まり、山の難題に心を寄せる人は増えないかも知れない。陽の当たりにくい場所と分かっていながら、そこに身を置き、未来につながる光を探す。そういう作業を黙々と進めている人だ。
(聞き手は国分紀芳。インタビューは2024年2月末に行いました)