人がすべて | 能登で働く

人がすべて

困難を飛躍の機会に

1枚のメモがある。病院の献立カードの裏に、一言だけ記された「人がすべて」。このわずか5文字が、未曽有の危機に直面した数馬酒造(能登町)にとって羅針盤のような役割を果たしている。

メモは先代社長の数馬嘉雄さんが2017年、病床で最期に書き残したもの。弱々しいながらも意思を感じる筆致からすると、経営者としての遺言であったのかもしれない。

このメモを、現社長の数馬嘉一郎さんは肌身離さず大切に持ち歩いている。先代であり、父でもある嘉雄さんが伝えたかったこと。それは嘉一郎さんの中に脈々と流れ、能登半島地震で被災した社員の給与や働く環境をいち早く保障し、生活の基盤を守り通すという意思決定に生かされた。

【あの日】 意外と冷静だった

2024年1月1日。仕込みに忙しい冬場の酒造りも、元日は午前で作業を終えていた。そして午後、会社に隣り合う自宅で、1度目の揺れを迎えた。

能登半島では2020年末から断続的に地震が起きていた。「また地震か」と受け止め、間を置いて蔵の様子を見に行こうと思っていた。

そこへ2度目の揺れが来た。それでも私は蔵を見て、落ち着いたら商品や設備の状況を確認しようと考えていた。社長就任から14年目。日ごろから感情に流されず、まずは目の前の事実を正確に把握するよう努めてきた。「津波が来る!」。家族の声が聞こえ、高台に避難した。それでも、地震直後を振り返ると、自分でも意外なほど冷静だった。感情を入れずにまずは事実を把握することが習慣になっていたのか、自分の心を守る手段として冷静になったのかは分からない。

厳しい時こそ経営者の出番

地震後1週間は会社を休業とした。その間、社員の被災状況を把握するのと並行し、社員の生活を守る術に思いを巡らせた。根底にあるのは厳しい時こそ頼れる会社でありたいという価値観。検討は「給与の満額支給」がスタートラインだった。

酒蔵の跡取りとして生まれた私にとって、幼い頃から働いてくださっている社員のみなさんは身近であり、大切な存在だと認識していた。酒造りの経験がないまま社長に就いた自分は経営に特化することを決め、現場は社員を全面的に信じ、任せている。そのため、社員がいたからこそ酒蔵として歴史を紡いでこられたという強い感謝の気持ちがある。だからこそ、こういう時こそ社員を大事にできる経営者でありたい。

ただ、難しいのは被災の範囲が広く、被害の程度は人によって異なる点。社員本人は元気でも、家族や財産が無事とは限らない。個々の事情を斟酌しながら、みんなが公平感を持てる方法はないか。そこで、出社の有無を自由とする傍ら給与は満額を支給する「ベース」を設けた上で、実際に働いた社員には賞与や昇給時に「+α」で報いることに決めた。

この決定と実際の運用方法を社労士と相談しながら決めるまで1週間。直近ではコロナ禍による需要の減退を経て、もしも売上ゼロになっても経営の現状維持ができる期間の指標となる「無収入寿命」を毎月、独自の管理表で把握するなど、有事に備えたことが迷わない判断に繋がった。

【これから】 立ち返る理念「能登を醸す」

 数馬酒造があるのは海に面した宇出津。地震や津波の脅威を念頭に置いて事業を再興するなら、いっそ移転や拠点の分散をはかるのが望ましいように見えるだろう。しかし、私はこの場所を離れることを拒絶している自分の気持ちに気づいた。

能登の酒蔵には地震直後から、消費者や取引先、同業者から救いの手が差し伸べられた。その支援を受け、また「復興の旗を振ってくれ!」と言われることが増えていったことから次第に「復興の旗を振る」ことを意識するようになった。自社の経営理念「能登を醸す」や先代の言葉「人がすべて」は、この場所で復興することによって実現したい。有事こそ普遍的な考え方に立ち返る大切さを噛みしめている。

多大なる被害が生じたし、これからも困難は大きいだろう。でも、経営者としてはこの局面を飛躍の機会と捉え、前に進むしかない。「これまでの平時は現状をふまえ徐々に改善していくという積み上げ型のアプローチで経営をしてきたが、復興のためには理想から逆算するアプローチに変えて経営していく」。覚悟は重く、決意は固い。

復興後の未来を描く時間

被災後、嘉一郎さんが密かに取り組んでいることがあるという。講演会等で沢山の聴衆を前に「いかにして困難を乗り越えたか。」を伝える、未来の自分自身のシミュレーションである。これはコロナ禍でも実施していたという。

「できない理由」を一つずつ潰し、その成果を地方で頑張る他の会社に先行事例や方法として還元したいという。

他者に語るには再現性がなければならず、他者に説明できる方法でなければ自社の社員にも伝わらない。自ら「未来軸で生きる時間」と称するシミュレーションだが、シミュレーションで終わらせるつもりは毛頭ないだろう。

あの日から2カ月。「旗」は能登の浜風に翻っている。

(聞き手は国分紀芳。インタビューは2024年2月末に行いました)

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