【インタビュー】ヴィオラに導かれるように歩んできた人生

 名 前:玉置 陽一
 現所属:株式会社高澤商店 海外事業部
 前所属:株式会社アピステ
 出 身:岡山県倉敷市
 大 学:愛媛大学

 


転職するときに決めていたことは、自分の時間をいかに確保できるかどうかだった。

 

ー 能登にやってくる前は、待遇の良い東京のメーカーで働いていたと聞きました。なぜ転職をしようと思ったのですか?

「前職ではメーカーの営業部にいたんですけど、忙しすぎて大好きなヴィオラを練習する時間がなかったんです。土日は基本的に休みだけど、有給休暇が全然取れなかった。とにかくヴィオラを弾けないことが苦しくて。結局1年と11か月しか働いていないですね。笑」 ※ヴィオラ・・・ヴァイオリン属の弦楽器

 

ーヴィオラが弾けないから転職を決意したということですか?

「はい。すぐに決めましたね。僕の場合、物事の判断基準の全ての軸はヴィオラなんです。その障壁となるものは排除していくつもりですね。だから、企業選びにおいて設定した条件が、①有給休暇を取れる②残業があまりない という2点でした。

 

ーそれほどまでにヴィオラにのめり込んでいるんですね。いつから弾いているんですか?

「中学生のころに、バイオリンがすごい上手な友達がいたんです。しかも3人も。音楽の先生の計らいで彼らの演奏を聴く機会があって。衝撃を受けましたね。それから弦楽器に興味を持ちました。進学した高校は弦楽部がなかったんで始めることが出来なかったけど、大学でオーケストラサークルに入りました。弦楽器の中でヴィオラを選んだのは、音色が気に入ったからですね。」

 

ー人生で何よりも優先するヴィオラの、その魅力を語ってください。

「自分が言葉で表現できない感情や世界観を代弁してくれる可能性がある。もちろんそれにはテクニックがいるから、もっと練習しないといけない。でも、表現できないものを、表現できる可能性がヴィオラにはある。それに、友人に相談しても気分が全く晴れないほど落ち込んだ時、ヴィオラを2, 30分弾くだけで立ち直れる。それは、立ち直ろうと思ってヴィオラを弾いたわけじゃなくて、ヴィオラを弾いたら勝手に立ち直っていた。その感情が不思議で、なぜ立ち直れるのかクリアにしたい探求心もあります。」

 

大学生のときに出会ってから寝ても覚めてもヴィオラが側にある玉置さん。単純に音色がキレイというだけではなく、世界観の大きや心を癒やしてくれる可能性に言及しているところが哲学的です。ここからは、ヴィオラから少し離れて今のお仕事について聞いていきます。


倉敷で湧いた伝統工芸への興味とイギリスで感じた海外との繋がり

 

ー転職先として高澤ろうそくに選んだのはなぜですか?

「和ろうそくという伝統工芸と海外事業の2つが決め手でした。実は前職は興味を持って選んだわけではありませんでした。だから、次の仕事では自分の興味の持てる仕事をしようと思って。その時に求人情報サイトのwantedlyで高澤ろうそくの「海外事業マネージャー募集」の求人を見つけました。僕の実家は岡山県の倉敷市なんですけど、両親が絵を描いてたので、芸術分野の知り合いが多かったんですよ。備前焼が有名だから陶芸家とかね。その影響で、伝統工芸には興味を持っていたんです。」

 

ー確かに、高澤ろうそくの和ろうそくは希少な伝統工芸ですね。海外事業については?

「大学の時半年間イギリスのオックスフォード大学に交換留学していたんですけど、僕と出会った人たちはみんな自分の気持ちをはっきり言葉で伝えていました。YES or NOみたいにはっきり。僕も好き嫌いをはっきり言うほうだからすごく彼らと波長が合ったんです。だから、漠然と彼らとつながれるような仕事がしたいとは思っていました。」

 

家庭のバックグラウンドや大学時代の経験が繋がった先が、能登半島にある伝統産業ということはすごく興味深いキャリア。自分自身がやりたいこと、大切にしていることをしっかり理解できている玉置さんだからこそ歩めた道かもしれません。

 

ー東京から七尾に転職したわけですが、田舎で働くことに不安はありませんでしたか?

「全然なかったですね。僕の場合、働く場所についてのこだわりは全くないかな。そこで何を誰とするのかが重要でした。その土地それぞれに良いところと悪いところがあって、東京は便利だけど空が狭かった。七尾は東京に比べると不便だけど、開放的でのんびりしているし。閉所が苦手だからそれはすごくよかったです。」

 

ー場所よりも「人」と「何を」を重視していた?

「そうです。肌の合う海外の人たちに、自分の興味のある商品を薦めるこの仕事は求めていたものに近かったです。思い描いている姿と完全に一致している訳ではないですが、充実していますよ。まぁ、自分の理想とピッタリ一致する仕事は中々ないですからね。笑」

 

ー今後の人生の展望はいかがですか?

「33~35歳までに心から尊敬する恩師とリサイタルを絶対一緒に開きたいね。あとは、高澤ろうそくの海外展開における成果を残したい。それは仕事だからじゃなくて、自分を採用してくれたことに対する恩を返したいから。採用してくれたってことは自分にある程度期待してくれているということ。その恩返しをするまでは、よっぽどの大事がない限りは今の仕事は続けていくつもりです。」

 

大学生の時に出会ってから9年間ずっと心の中でヴィオラが一番だった玉置さん。最も大切なものを心の軸に据え、全てにおいて優先してきたその生き様は、とても堂々たるものでした。

お昼ご飯の際に仕事用の携帯が鳴っても、「休憩中に仕事はしない。」と電話を切ったのも、強い芯を持った彼らしく大変印象的でした。

その時々で、自分のオーダーを大事にした生き方をする。

伝統工芸の海外展開に取り組みながら、彼がどんな人生を歩んでいくのかとても楽しみです。

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